「小学校から大学までずっと、学校に行くのがしんどかった。」生き方を自分で選ぶことの大切さを語ってくれた、石川桜さん。

人を知る

石垣島から こんにちは。八重山ヒト大学の前盛まえもりよもぎです。今日お届けするのは、八重山高校時代の同級生、石川いしかわ桜さくらさんのインタビュー記事です。

今回私が桜に取材を申し込んだのは、先日島で参加した飲み会がきっかけでした。

そのとき私はたまたま実家に帰省中で、同じタイミングで島に帰ってきていた友人の誘いで、久しぶりの同級生数人で集まることになって。

その席で、高校の卒業式ぶりくらいに、桜と再会したんです。

桜とは、高校1年・2年の頃に同じクラスだったんですが、久しぶりに再会した彼女は、当時よりもだいぶ大人びた雰囲気になっていて、優しい笑顔と丁寧に話す姿は相変わらずで。

中央右が桜、左が私。

2軒目の居酒屋で、たまたま隣の席になったときに、桜が今まで歩んできた人生のことや、高校を卒業してからのこと、大学を休んで島に帰ってきた経緯などを、色々と聞かせてもらったんです。

子どもの頃と今との自分の内面の変化のこと、家族のこと、学校に行けず苦しかった日々のこと。

1つ1つ言葉を選んで、全然飾らずに、とてもまっすぐに自分の過去を語る姿に、「ああ、桜は、”自分の幸せ”や”違和感”に向き合う時間を随分と沢山もちながら、ここまで生きてきたんだなあ。」と感じました。

誰にも言えないような苦しさを抱えてるときって、1人ぼっちのような孤独を感じるものだけど、同じ不安を経験してきた人がいるということを知れただけで、救われたりするものじゃないですか。

桜の経験してきた痛みは、きっとそういう今しんどさを抱えて生きている誰かの心を、楽にしたり、「そんな時期もあっていいんだよ」と肯定してくれる力があるんじゃないかなと思い、インタビューを申し込みました。

桜、快く引き受けてくれて、本当にありがとう。

それでは早速、始めていきましょうね。


大学を辞めたいと思った19歳の春。

— はじめに、桜の今までの経歴を教えてもらえる?

うん。私は、島を出るまでは至って普通というか、みんなと同じ感じで生きてきたかな。

高校時代は3年間進学クラスにいて、周りが大学進学を目指している人ばかりだったから、私も当たり前のように国公立の大学を目指して勉強して。

お姉ちゃんが琉球大学に行ってたし、親にも沖縄にしなさいって言われてたから、私も流れのままに琉大に進むことにして。そこに疑問や不安はなかったから、実はオープンキャンパスすら行ってなくて。やばいよね(笑)

それだけ進路のことを本気で考えてなかったってことだと思うんだけど。

進学後はお姉ちゃんと一緒に暮らす前提だったから、自分でアパート探したりする手間もなかったし、家族や友達が誰もいない場所に1人で行くのに比べたら、全然ストレスのかからない選択だったんだよね。

でもいざ進学してみたら、入学式の時に「本当にここでよかったのかな」って感覚がすぐに襲ってきて。突然、不安になったんだよね。

— それはどうして思ったの?

なんかね、本当に学問に興味があって集まっている同級生たちとの、感覚の差というか、本気度の違いを感じてしまって。

本音を言うと、私まず琉大に受かるとも思ってなかったの。実はセンター試験終わったあたりから気が抜けちゃったというか、心がふわついてしまっててさ。

一応進学クラスにいたからセンター試験までは頑張ったんだけど、終わったらみんなバラバラに勉強するじゃん。二次試験とか面接練習とか、個人個人で頑張るみたいな。そこでなんか、体力が切れちゃって。

でも始めた以上は引くに引けないというか。それでなんとか受験はやり切ったんだけど、やっぱりその辺からずっと違和感があってさ。その後も、「受かっちゃった以上は行かなきゃ」って感覚で進学したから、そりゃ一生懸命頑張ってきた周りの子たちと温度感が違うのは当然だよね。

— 政治国際学部に行こうと思ったのはどうして?

高校時代に、国際問題を取り扱ってるジャーナリストさんの話を聞いて、影響を受けたの。でも、興味はあったけど、そんなに熱量があったわけじゃかったから。

大学に入って、周りはすごい熱意ある子ばかりで楽しそうなのに、私だけあんまり興味が持てなくて、「なんか違うよなぁ・・・」ってモヤモヤした感じが晴れなかったんだよね。

みんな夏休みとかでもわざわざグループライン作って「ディベートしましょう」って学校に集まったりしててさ。その時点で、もう全然ついていけないなと思ったし、自分だけぼんやりしてることへの申し訳なさみたいなのも感じて。

「ここは自分がずっといる場所じゃないな」って思えて、徐々に学校も休みがちになっちゃったんだよね。

大学はさ、高校と違って、先生とも友達ともいくらでも距離を置けるし、人とコミュニケーションをとらなくてもそれなりに通えるじゃん。

学校休んでも、単位とか心配されたり、体調大丈夫?って声かけられたりはするけど、みんなそれぞれ自分の生活が忙しいから、誰もそこまで深くは踏み込んでこない。

子どもの頃は、学校に行かないと家族からも先生からも友達からも無理矢理でも連れ出されてたんだけど、大学にはそれがないからさ。

私自身、精神的にバランスを崩して不安定になっていたこともあって、実際はこの先どうしていいか分からなくて不安なはずなのに、うわべでは「大丈夫大丈夫」ばかり言ってしまって、周りに頼る余裕がなかったんだよね。

でも、そのままズルズル在学しても、休み過ぎで除籍になっちゃうからさ。除籍って、退学より酷いし、さすがにそれはまだちょっとまずいかなと、自分でも思ったんだ。

だから、とりあえず1年生の間は頑張って取れそうな単位はとって。でも2年生になったからって何か気持ちが変わるわけでもないじゃんね。それで、2年の春には「学校辞めたいな」と本気で思い始めてて。

親にも相談したんだけど、まあ普通に反対されるじゃんね。「環境に慣れるのに時間かかってるだけでしょ」くらいに思われてたし。

一緒に住んでるお姉ちゃんにも相談してたけど、私がそこまで本気で辞めたいと言ってるとは思わなかっただろうし、「ちゃんと頑張らなきゃダメだよ」みたいに叱咤激励されて。

でも、キツイ時ってそれ言われても何も動けないというか。これ以上無理だよみたいな気持ちだからさ。なんかもう前にも後ろにも進めなくて。

なぜだか自分の中でも勝手に「辞めるなんて絶対ダメだ」って思い込んでたし、親にもその時は「休まずにちゃんと通うべきだよ」って言われてたから、大学から離れたいのに、退学もダメ、休学もダメで、選択肢がないように思えたんだよね。

学校に行くのが苦痛だった小・中・高校生時代。

そもそも、私はもともと学校嫌いな子どもでさ。集団生活が苦手だったから、小中高時代もあんまり行きたくなかったんだよね。

親には「なんで行きたくないの?」って聞かれるんだけど、子ども時代は自分でも理由が分からないから、言えなくてさ。

とにかく行きたくないんだけど、うまく伝えられなくて、無言になっちゃう。それで「じゃあ行けるでしょ」って無理やり連れてかれちゃって、悪循環だよね。親もどうしていいか分からなかっただろうし。

それでもう、親子の関係最悪というか。あと、”病は気から”って言うように、行きたくないと思ってたら本当にだんだん体調も悪くなるんだよね。だるくて起きれなくなったりして、小学生の頃から週に2・3回休んだりしてたんだ。

頑張って学校に行っても、友達に「仮病だろー」とか「ズル休み」って言われるのがまた辛くてさ。まあ、仮病なんだけど(笑)

— 学校に行きたくなくなったのは、何かきっかけがあったの?

うーん。これは自分の性格が尖ってたこともあると思うんだけど、小学校の時に仲良い友達から嫌がらせを受けてさ。それですごく傷ついて、登校するのが怖くなっちゃったのがきっかけだったと思う。些細なことだよね。

— お母さんは教育熱心だったの?

そうだね。私が宿題やってるときは横についてずっと見てる感じだった。何か間違うと、ここ違うよってすぐ指摘されて、やり方は教えてくれないんだけど「何が違うか分かる?」って聞かれて、すごくプレッシャー感じながら勉強してたなあ。

— ああ〜、それは「間違うの怖い」ってなっちゃうね。

お姉ちゃんとか妹とは、昔お母さんに言われてショックだった言葉とか、あれひどかったよねって話とか、したりするんだよね。でもそれは兄弟間だけで、親に言ってみても、なんも覚えてないんだよ。

傷つけた人って、覚えてないんだよね。お姉ちゃんも、お母さんに昔の不満とか言うらしいんだけど、覚えてないらしくて、「え!あんな傷つけられたのに、覚えてないの!」って余計怒り倍増するらしいんだよね。なんなら「そんなこと言ってない」とか言うらしいし。

お姉ちゃんは強くてさ。色々思うことはあったと思うけど、我慢して、それをバネに頑張れるタイプだったんよね。でも私は、弱いから。頑張れなくて、すぐ内側に引きこもっちゃう。

私も、島に帰ってくるまでは親への恨みつらみが色々あって、「あの時なんでこうしてくれなかったの」とか思ってたんだけど、覚えてない人に言っても、仕方ないんだなと分かって。

母の性格からしても、あの時ごめんね悪かったねって言うタイプじゃないし、私1人が勝手に抱え込んで思い出して疲れるだけなら、もうやめよう、気にしないでおこうって思ったんだよね。

— 桜が冷静にお母さんを見れるようになったのはいつ頃から?

子どもって、どうしても親の期待に応えたいって思いがどこかにあって、自分を押し殺してまで頑張っちゃうものじゃん。どこでその感覚から自立できたのかなって思って。

うーん、自分の人生を自分で決めようと思えたのは、大学を休学してからかな。

帰ってきて1人で考える時間が増えてから、自分を全部理解してもらおうと思うのも辞めたし、親の存在も1人の人間として「こういう人なんだ」って認められるようになったんだ。

ちっちゃい時って、親って完璧な存在だと思い込んでてさ。でも実際は全然違くて。人間なんだから、当たり前に良いところも悪いところもあるし、それが分かるようになってから、楽になったかな。

周りに流されて生きてきて、自分で決めることが怖かった。

それまでさ、私は「自分で決める」って経験をしないまま育ってきちゃったなと思うんだ。

高校でも、大学でも、本当に自分がめちゃめちゃ行きたくて選んだっていう経験がなくて、いつも周りに流されて決めてきたんだよね。

だから、その先で何か不都合な出来事があったとき、親のせいにしたりとか、先生のせいにしちゃう自分がいてさ。

周りの人たちは良かれと思って助言してくれて、その瞬間は自分もまあいいかと思って選んだはずなんだけど、何か良くない事があったときには、「自分で選んでない」って感覚が残ってしまってるせいで納得できなくて、ついその人たちのせいにしちゃう。

でも、後になっていくら私が「あなたたちがこう言ったじゃないですか」って言っても、その人たちからしたら「いやいや、そんなこと言われても、最後に決めたのは自分でしょ」って感じじゃん。

そこで初めて、自分の人生に責任をとれるのは、自分だけなんだなと気づいて

それまでの私は、「自分で決める」ことから逃げてた部分もあったし、なるべく周りの人が認めてくれるようなところに行って、頑張ったねって言ってほしいって承認欲求みたいのもあったと思うんだよね。

でもそうやって人に合わせて選んだ結果、結局誰かのせいにしちゃうんだったら、全然意味ないなと思って。

だけど、それは石垣に戻ってくるまでは気づいてなくてさ。当時は本当に、生きるのも面倒くさいと思ってたの。

— 石垣に帰ってきたのは大学2年生くらいの頃?

そうだね。大学2年の6月くらいかな、当時はかなり気持ちも落ち込んでで、体調も悪くて、大学はほとんど行かずにアルバイトだけしてたんだけど。急に両親が沖縄まで迎えにきてさ。さすがに見兼ねて、心配になったんだろうね。それで強制的に、連れて帰られたというか(笑)

でも帰ってきてからも、気力も体力もなくて。親にも兄弟にも会いたくなくて、部屋に引きこもってたんだよね。2ヶ月くらいはそんな感じで過ごして。

家族もどう接していいか分からなかったんだと思うんだけど、腫れ物に触るかのようでさ。それもしんどくて。

これからどうやって生きていったらいいかも分からなかったんだけど、ただ家にいても息苦しかったから、少しづつ家の手伝いとか家事とかをやり始めてさ。そのうちに親から「何か仕事してみたら?」って言われて。

それで、たまたま求人で見つけた薬局で働き始めたの。

その薬局のお客さんは、台湾人や中国人ばっかりで、日本人はほとんど居なくてさ。あそこに居なければ出会わないような人ばかりで、面白かった反面、職環境とか人間関係はあまり良くなくて、2年近く働いた後で、いまの職場に移ったんだ。

私の性格的に、人に「これやって」って言われたら、あまり疑問に思わずに黙々とやれちゃうタイプだから、その時もしんどいなと思いながらも続けられてたんだけど、なんか周りの人がどんどん辞めていっちゃってさ。

その時に、なんかふと、この仕事って誰かを特別幸せにするかって言われるとそうじゃないし、自分が無理して頑張って続けることでもないんじゃないかな、と思えて。

会社自体も、その時働いてくれる人がいればいい、みたいな考え方で、長期的に社員を大切にするような会社ではなかったからさ。

今はご縁あって島のアクセサリーショップで働いてるんだけど、そこは「無理にでも売りたい」って感じじゃなく、「気に入ってくれた人に買ってもらえたらいい」って感じだから、自分に合ってるんだ。

人は人。私は私。自分のペースで生きられるようになった。

— 桜さ、前の飲み会のときに、「今めっちゃ幸せなんだ」って言ってたじゃん。それはなんで?

なんかね、すごく心が穏やかなんだ。いま彼氏と同棲してて、好きな人と一緒に暮らせているというのもあると思うんだけど、職場の人も穏やかな人が多くてさ。日々、周りの人から学ぶことが多くて、楽しいの。

前だったら「こういう人苦手だな」と思って拒絶してた人にも、気づかされることとか、そこから学べることがあるなって最近は思えるようになってきて。だんだんと自分の中のバリアが薄れてきてる感じがするんだ。

あとは職場の人がほとんど内地から来てる人なんだけど、隣のお店は地元の人たちのお店で、やっぱり、雰囲気違うじゃん。どっちが良いとか悪いとかじゃなくて、日々すごい多様性を感じるよ。

※「内地」とは県外のこと。

図々しいけどめっちゃ温かい地元のおばちゃんとか、すごく穏やかだけどさっぱりした人間づきあいの内地の人とか、いろんな生き方があって色んな価値観があるなあって、それでいいんだなって落ち着いて思えるようになった。

前は新キャラが登場するたびに心振り回されてたんだけどね(笑)

そういえばこの間、地元のお客さんで「内地の人は嫌い」って言うおばちゃんがいてさ。桜のことは地元だからってすごく褒めてくれたんだけど、内地の人に対しての嫌悪感がすごくて。

「ナイチャーは目が腐ってる。関わらない方がいい。」とか言ってて、ものすごい強烈だなと思ったし、どう反応していいか分からなかったんだけど。そういうすごい偏ってる人とか、やっぱり島にはいるんだよね。

※「ナイチャー」とは県外の人こと。

今私が働いてるアクセサリー屋さんは、周りも内地の方がたくさん働いているし、そのおばちゃんが買い物してるお店だって内地の人が経営してたりするのになと思ってさ。

あと島のおじー達も「タイワナーは嫌いだ」とか言うけど、私は薬局で働いてた時に色んな温かい台湾の方とも会って来たし、もちろんマナーの悪い観光客もいるけど、それは地元の人でも同じでさ。

※「タイワナー」とは台湾人のこと。沖縄のオジーオバーたちは、アメリカ人のことを「アメリカー」、フィリピン人のことを「フィリピナー」など、語尾にerをつけて呼びます。

態度悪かったり挨拶できなかったりするのに国籍は関係ないわけで、それを人種で区別するのは、偏ってるなあと思っちゃうよね。

でも、人を変えるのは、すごく難しいじゃん。この人がもし同世代で対等に話ができる相手なら、「あなたの価値観も分かるけど、こういう価値観もあるんだよ」って紹介できるけど、やっぱりもう60代70代になった人に20代の私が言葉を伝えたところで、逆ギレされたり聞く耳を持たれずに終わっちゃうなって思うのね。

その人にはその人なりの背景があって意見を言ってるんだろうし。だから、そこに対して怒りを覚えても仕方ないなと思って、ただ悲しいなと言うか、寂しいなと思いながら、けれど自分までその負の感情に支配されずに、生きれるようになってきたんだ。

— 周りの人の言葉や意見に振り回されずに自分のペースを大事にできるようになったんだね。ちなみに、桜はいま新たにやりたいこととかあるの?

うーん。なんか、勉強したいなって思うようになった。

— へえ!それは大学に戻って勉強したいとかではなくて、ってことよね?

うん。私、もともとそんな勉強自体が嫌いってわけではなくて、ただなんか学校に行って勉強するのが合わなかっただけなんだよね。1人で自分の興味あることに対して向き合うのは好きなんだ。

学校でみんなと同じことを同じペースでやらなきゃいけないのは苦手なんだけど、自分の好きなことを好きなペースでやる分には、いくらでも熱中できる。

薬局で働いてる時も、中国語とか韓国語を勉強して接客の時にちょっと使ったりしてみてさ。中国から来たおばちゃんたちとか、ちょっと話すだけですごく喜んでくれて。そういう、自分で学んで、実践して、っていうのは楽しくて。

— うんうん。私の中で、桜はすごく真面目なイメージだったよ。学校のことも、バイトも、プライベートも、いつもきちんと物事をやってる印象だった。

なんかね、私昔から”適当”ってのが分からなくて。

適当ってさ、うまい具合って意味だと思うんだよね。大きく道を外れることもなく、無理することもなく。

でも、その感覚がわかんなくて。極端になっちゃうの。めっちゃ頑張るか、全くやらないか。振り幅がすごくて。

学校なんてそれなりに適当に通えばいいじゃん、勉強も大してできなくたっていいじゃん、って言う人もいると思うけど、そう言う風に考えられなくてさ。

学校行くならテストは満点取らなきゃと思い込んでて。できないのに完璧主義だから、病むというか。だから適当に出来る人は羨ましい。

— 桜は悩んだとき、誰に相談するの?

うーん彼氏かな。家族とか友人とか、昔から出来上がってる人間関係の中でいきなり弱みを見せるって難しいし、私は人を100%信じることがあまりないから、付き合いの浅い人には深い相談はしないし。

恋愛相談とかは、みんなが楽しめる話題だから気楽にするけど、それ以外のことはどうしても重くなっちゃうから、相手も困るだろうなと思って遠慮しちゃう。島では情報もすぐに漏れるしね(笑)

あとそもそも、同年代で地元に帰って来てる子は、それなりに地元が好きでこの空気が合ってる人が多いから、あんまり人生への疑問とか息苦しさとか感じてない人が多いと思うんだ。そういう悩みや苦しさを抱えてる人って、自然と島を離れていくからさ。

だから、島にいる同年代の友達たちと生き方や働き方について真剣に語り合う機会とかは、あんまりないかな。

周りの声を気にして選択を誤ると、辛い思いをするのは未来の自分。

同年代で自分の生き方をしっかり考えてる人って、何かしら早いうちに辛い思いやしんどい思いをしてる人が多い気がしててさ。

この島は、よくもわるくも、みんな他人への興味が旺盛すぎるというか。

失敗したって、痛い思いするのは本人なわけで、それは学びになるのに、周りがそれをさせない空気があって。

周りの人が何か始める時に、「やらない方がいいんじゃない」とか「その挑戦は良くないよ」とか、すごくみんな悪いこというんだよね。それもたぶん無自覚に。

別に誰かに害を与えることじゃないんだから、ほっとけばいいのにさ。

島では同じ人とずっとつるんでる人って多くて、毎晩同じメンバーで集まって飲んで、語り合うためと言うよりも、馴れ合いというか、ひどい時には愚痴の言い合いをしてたり、足の引っ張り合いや、成功した人の叩き合いをしてて。そういうのを見ると、ちょっと虚しくなる。

私はもともと友達が少ないタイプだし、冷たいと思われるかもしれないけど、他人の人生にあまり興味がなくてさ。

誰かが成功しても失敗しても、関係性は何も変わらないし、逆に私が与えられる影響もほとんど無いと思ってるから、淡々と見ているというか。

成功した人にすり寄ったり、失敗した人から離れたり、そういうのはよく分からない。

— それは、初めからそうだったの?色々経験した上でそうなったの?

うーん。昔、人の目を気にしすぎて疲れちゃったから、反動で今こうなったんだと思う。

矛盾するようだけど、他人は意外に自分に興味ないなって思ってる節もあってさ。みんな外野から色々言ってくるけど、結局最後の責任まではとってくれないんだなと思って。

成功した時と失敗した時は、みんな興味津々で近づいてくるけど、野次馬でしかなくてさ。その人たちの声を気にして自分の人生の選択を誤ると、辛い思いをするのは自分だから。

大学休学した時も、もちろん周りからすごい色々聞かれたよ。最初は色々オブラートに包んで答えてたけど、そういう人ってオブラートをも思っきり剥がしにくるからさ。もう何を思われてもいいやって、正直に話すようになったんだ。

そしたら、その分がっかりする人は離れて行って、自分が楽になった。

苦しい経験は、できれば少ない方がいいけど、無駄ではないんだなと思った。

当時、色々聞いてくる人ばかりの中で、1人だけ静かに何も言わずに話を聞いてくれたおばちゃんがいたんだよね。島のおばちゃんでズケズケ聞いてこない人は珍しいなと思ったら、その方のお子さんも休学してたらしくてさ。

やっぱり、人間、自分が経験したことじゃないと分からないんだなあって思った。痛みや苦しみを多く経験してる人は、優しいよね。

だから、苦しい経験も、できれば少ない方がいいけど、無駄ではないなって思うんだ。少なくも、私は自分と同じ状況で苦しんでる人に対して、前より理解も共感もできるからさ。

あと、20代のうちから属する世界を狭めてしまうと、吸収できることが減ってしまって、ちょっと考えが偏ってしまいがちのかなと思う。

人間って、自分の人生を否定されるの嫌じゃん。だから自分と違う境遇の人に対して、おせっかいで色々言ってきたりする。

早くに結婚して子育てした人が、30代で独身の人に対して謎に絡んできたりとか。そういうの見ると、ほんとしんどいなあって思う。

みんな違う人生で当たり前でさ。自分の人生は自分の人生、それで幸せだったって思えればそれでいいじゃんと思うんだけどね。

1度きりの人生、なんでもやってみなきゃ分からないし、時間は戻せないから、いまの自分に納得しながら進んでいくしかないわけで。そういうのを分かってない人が多いのは、島ならではの苦しさかもしれない。

あと知り合いのおばーとか、性同一性障害の子に対して「いつになったらこのおかまは治るかね」みたいな感じで平気で病気だと思ってたりする。「いやいや、治る治らないの話じゃないよ!」って衝撃的だったけど、そういう人に言葉を伝えるのってすごく難しくて。

老化や認知症に対しても「ああなったら終わり」とか平気で言うから、悲しくなるけど、そういう出来事も全部ひっくるめて、島で暮らすってのは都会とはまた違った意味での”多様性”を知る経験になるよね。

— あぁ、分かる。めっちゃ。

それでは最後になっちゃうんですが、島の後輩たちへメッセージをお願いします。

うーん、やっぱり「自分で自分の選択肢を狭めないで欲しい」ってことかな。

私は進路を決めるとき、親が沖縄にしなさいって言うから沖縄に行って、進学クラスにいてみんなが国公立を目指す方針だったからそれに合わせて国公立にして、ほとんどのことを周りの人の意見で決めてしまって、自分で決めたのなんて最後のおまけの部分だけ、みたいな感じだったんだよね。

選択肢を自分ですごい狭めてから、選んでしまった。

実は一時期、短大とか専門学校への進学も考えてたんだけど、正直心のどこかでばかにしてた部分があったんだよね、きっと。

でも、他人に何言われても、やりたいことがあったなら絶対に行った方が有意義だったし、その人の価値ってのは所属してる場所よりも、思いとか熱意とか、そこで何をしているか、で決まるものなんだなと思うの。

だからまずは、いろんな偏見や固定概念を捨てる勇気を持つこと。

そのとき初めて、自分らしい道が見えるんだと思うから。

特に、勉強ができる子とか、スポーツができる子とか、何かに秀でてる子は「ここに行った方がいいよ」って周りが道を作っちゃうことが多々あると思うんだけど。

親や先生の言うことを聞くなって意味ではなくて、そのアドバイスが自分の思いと近いものなのか、鵜呑みにする前に深く考えてから決めて欲しい。

学校としてはなるべく偏差値の高い大学に入学して欲しいから、能力で進路を進めてくるけど、能力で決めるのではなく、「好き」と言う思いで決めるべきだよ。

島はさ、小学校も中学校も選べないし、部活や習い事の選択肢も少ない。エスカレーターみたいにして、周りと足並み揃えて歩いてきてるから、「選ぶ力」が育まれるのがとても遅いと思うんだよね。

いきなり自分だけで選ぶって難しい。でも選ぶ力を鍛えることは、幸せに生きるためにとっても大切なことだから。

親任せにせず、先生任せにせず、今のうちから沢山考えて、「自分で選択する」経験を積んで欲しい。

もしも万が一、その選択が間違っていたとしても、自分で選んだことであれば、それはきっとあなたにとって大きな人生の糧になるからさ。

— ありがとうございました。

自分で選ぶこと、本当に大事だね。桜の言葉は、私もそうだけど、環境に左右されやすい人とか、周りの人の感情に敏感に影響を受けてしまう人には、共感できる部分が沢山あったんじゃないかと思います。

感覚が繊細であることで、生きづらさを抱えている人もいるかもしれないけれど、でもそれは「自分の幸せ」に近づくための、大切なスキルなんだと思うから。

その”違和感”や”息苦しさ”を無視せずに、自分の心に丁寧に向き合った上で「自分らしい生き方」を選ぶこと、みんながもっとオープンに認め合える世の中になればいいなと願っています。

私が愛読している「soar」というメディアの、「誰かの回復の物語が、生きる力になる。」というコンセプトのように、この記事が誰かの心を元気づけられることを祈って。

Text & Photo by 前盛よもぎ


石川 桜いしかわ さくらさん

年齢 | 22歳(1996年生まれ)
好きな食べもの | 納豆
好きな映画 | アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜
島で好きな場所 | カフェ。1人で静かに過ごせる場所。

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