「みんなもっと、弱さをさらけ出していいと思うんだ。」ありのままの自分を表現する大切さを伝える、垣花克輝さん。

ダンス

2018.10.12

こんにちは、八重山ヒト大学の前盛まえもりよもぎです。

「この人にはいつか絶対、話を聞きに行こう。」ヒト大学を始める前からそう決めていた人の1人が、今回お話を聞かせて頂いた石垣島の同級生、垣花かきのはな 克輝かつきさんです。(以下 敬称略)

克輝とは、子どもの頃に所属していた八重山舞踊の研究所が同じで、かれこれ10年くらい一緒に舞台に立ってきました。最近は住んでいる場所が離れ、会える機会も減ってしまったのですが、先日久しぶりにゆっくりとお互いのことを喋る機会があって。

その時に、克輝の雰囲気がガラッと変わっていたのに、びっくりしたんです。

島にいた頃の克輝は、自分の芯は強く持っているけど、思いはいつも静かに内に秘めている感じで、舞台の上や親しい人との場以外ではオープンに自己主張をしない印象でした。

でも今回会ったら、当時の遠慮がちな表情が消えていて、何かが吹っ切れたような、とても大人びた穏やかな表情で自分の言葉を堂々と語っていて。

その姿になんだかハッとして、「克輝に聞くなら、今だ!」と思ったんです。

現在は東京でフリーのコンテンポラリーダンサーとして活躍している克輝が、今までなにを感じながらこの道を歩んできたのか、この先にどんな未来を描いているのか、島で育った日々をどう振り返るのか。

日々アップデートを重ねて、どんどん次のステップへと進んでいく克輝の姿を、完全な大人になりきってしまう前の「今」だから語れる等身大の言葉を、残しておきたい。そう思って、お話を聞かせてもらいました。

近しい環境で育ってきたからこそ共有できる思いもあれば、距離が近過ぎたからこそ交かわせなかった言葉や、狭い島のコミュニティだから言い出せなかった息苦しさも、色々あったんだなあと、当時を思い出しながら何度も胸が熱くなった取材でした。

なにかしらの”生きづらさ”を抱えて生きている人たちに、この記事が届くことを願って。


性別に関係なく、言葉にとらわれず、ありのままの自分を表現できるダンスの世界に憧れた。

—— まず、克輝の今の暮らしや仕事について、聞いてもいいですか?

うん。今年の春に大学を卒業してからは、主に自分の創作活動をしてるよ。

大学3年の時に立ち上げた「やまんぐぅ〜」というダンス団体で振り付けをして自主公演をしたり、自分で作品を作ってイベントに出演したり、声をかけてもらったショーで踊ったり、もっと幅を広げようと今までやってこなかったジャズヒップホップ・ジャズファンク・ポールダンスなどの新たなジャンルにも挑戦しています。基本的には、ずっと踊ってる感じの毎日かな。

今の目標は、振り付け師とダンサーのお仕事だけでご飯を食べれるようになること。

今年はその準備期間で、ひたすら経験と実績を積むための大切な時期だなと思ってる。少しでも時間が空けば踊りたいし、この勢いを止めずにどんどん活動したいなって気持ちで、ちょっと生き急ぐようにして生きてるかもしんない。

—— うんうん。今の克輝は夢に向かって全力疾走中の時期なんだね。相変わらず、踊るのが大好きなんだなってのが伝わってくるんだけど、そもそも克輝は何でダンサーになりたいと思ったの?

うーん。自分を表現できる1番の手段がダンスだと感じたから、かな。

もともと高校卒業後すぐに東京に出てきた理由は、大好きだった演劇を学びたいと思ったからなんだけど。大学に入ってから「コンテンポラリーダンス」ってのに出会ってさ。

最初は友達に誘われて何となく始めただけだったんだけど、気づいたらいつの間にかハマっちゃってて。コンテを踊ってる時間が純粋にすごく気持ち良かったのもあるけど、周りの人たちが思った以上に評価してくれて、まだ何の実績もない自分に声をかけてくれて、外の現場に呼んでくれたり、受賞作品で踊らせてくれたりしたのが、めっちゃ嬉しかったわけさ。

そうやってたくさんの挑戦の機会を恵んでもらったことで、心から尊敬できる人と出会えたり、新たな世界を見れたり、自分の視野がどんどん開けていく感じが、楽しくて。

あとは、言葉で表現する芝居よりも、衝動的な感情とか体の動きだけで表現できるダンスの方が、自分には合ってるな、好きだなと感じて。

あらかじめ用意した台本やセリフを演じるのではなく、その場で0から自分で生み出して表現できる世界って面白いなって思ったんだよね。

世の中には色々な表現方法がある中で、ダンスってのは特に、性別に関係なく自分の好きなスタイルを追い求められるところが魅力でさ。

男の人でもヒールを履いてセクシーに踊ったりするし、女の人がゴリゴリのかっこいいショーを作ってたりもして、もう男とか女とか、全然関係ないんだよね。性別にとらわれないどころか、性別が逆転することで魅力が増す感じが、いいなと思ったんだ。

—— その思いは、島にいた頃に八重山舞踊を習っていた経験も影響してる?

うん、めっちゃ関係してると思う。自分は小さい頃から踊ることが好きで、音楽が流れたら勝手に踊り出すような子どもだったらしいんだよね。それで小学校2年生の時には八重山舞踊を習い始めたんだけど、踊りの世界は女の子ばっかりの場所でさ。

男の自分はいつも馬鹿にされて、笑われる対象だった。

踊りの本番で兄弟たちと。( 写真右が克輝 )

踊りの教室のねーねーたちが「あいつ男なのに何でここにいんの?」みたいな話をコソコソしてるのが聞こえてきたり、地域のお祭りとかで舞台化粧してる姿を男友達に見られてからかわれたり、同級生たちに「おかまだ。」って笑われたりした記憶は、とっても悲しかったから今でも鮮明に覚えてて。

メイクしてる顔を人に見られるのが恥ずかしくて、よく楽屋で自分でこすって消しちゃって、先生や親に怒られたもの覚えてる。

今でこそ、踊りをしてる男の子に対する見方は変わってきていて、逆に褒められる対象になってきているけど、当時はかなり珍しかったからさ。踊ることが大好きなのに、それを胸はって周りに言えない葛藤が、子ども時代はずっとあったな。

—— そうだったんだね。たしかに、思春期の多感な時期とか、そういうことはなおさら気になるよね。踊りの世界ってさ、ただでさえ、ちゃんと続けられる子はとても少ないじゃん。地道な稽古が多いから、どんなに舞台が好きな子でも面倒になっちゃって辞めちゃったりして。実際私たちの通ってた研究所でも高校まで続けた同世代ってほとんど居なかったよね。

そんな中で、克輝が嫌な思いしながらでも踊りを続けられた理由ってなんなんだろう?

うーん、何でだろう。多分、自分にとっては踊ることがあまりにも当たり前だったんだよね。

大げさかもしれないけど、使命みたいに感じていて、小さいながらに「自分は踊る人なんだ」って思ってたんだよね。

あとは、もともとの性格的に、悩みを人に相談することが苦手だったことや、言葉での表現が不得意だったことも関係してるのかも。感情をさらけ出せる手段が他に見つからなかったから、踊ることでバランスをとってたのかもしれない。

自分は、幼い頃から”人と違う”部分が多かったからさ。差別的な目で見られた経験も、嫌われた経験も、悔しい思いも、悲しい思いも、我慢も、人より多くしてきたと思うんだよね。その寂しさを埋める手段として、結果的に舞台に立つことがライフワークみたいになっていったんだと思うし。

そういう意味では、島の環境にも感謝だね。

「自分は舞台から離れられない」と気づいた高校時代。みんなで1つのものを作ることが楽しかった。

—— じゃあ舞台の道に進むことは、早いうちから決めてたの?

いやいや、全然。大学進学の時も、実は沖縄の国公立の大学を考えてたんだ。お金のこととか、将来のことを考えると、そのほうが親孝行だし。舞台も、半端な場所で続けたって満足できないだろうから、もうキッパリやめて、真面目に会社員にでもなろうと思ってた。

でも、受験の書類を出す手前で、所属してた高校の演劇部の国立劇場の公演が決まってさ。「国立の舞台に立てる」ってのは、やっぱり自分の中ではかなり大きな出来事だったから、今までやってきた八重山舞踊やアカハチ(地域の子ども演劇団体での活動)の全てが繋がった感じで、「自分が進むべき道はこれだ!」って思ったんだよね。

そこで、ああ自分は舞台から離れられないんだって、なんかストンときて。顧問の先生に相談したら「本気で芝居を学びたいなら、沖縄では満足できないよ。やるなら都会に行っておいで。」って言われて。

そこから色々調べ出して、「オールマイティーに舞台業が学べる場所」を探したんだ。当時、演者以外にも舞台監督とか演出とか音響照明とか設営とか色々経験させてもらってたから、芝居しか知らないような”裏方ができない役者”には絶対なりたくないと思ってたし、チーム全体で1つの作品を作るあの感じがすごい好きでさ。

—— 「みんなで何かを作るのが好き。」って感覚は、このあいだ克輝が話してた「群舞が好きだ。」って話と通づるところもあるのかな?

うん、そうだね。なんかさ、これまで23年も垣花かきのはな 克輝かつきとして生きてきたらさ、自分はすごく弱い人間だなって、自分自身でよく分かるようになってきたんだよね。あ、これは決してネガティブな意味ではなくてね。

人って誰しも、いい面ばかりじゃないじゃん。自分はダメなところはとことんダメだし、1人では何もできない。でも、そんな時にカバーして支えてくれる存在って必ず居てさ。今の自分の場合は、いつも一緒に踊ってくれているメンバーが、そんな存在になっているんだけど。

自分が不十分なぶん、周りを色んな人が囲んでくれて、そのおかげでカラー豊かな作品を作ることができていると思ってるから、そもそも1人で全部やろうとか考えたこともないわけさ。

群舞も、同じように人の数だけ舞台に厚みや迫力が出るのが好きでさ。

克輝が主宰する「やまんぐぅ〜」のパフォーマンス

最近は、自分が振り付けや構成をした作品でも、踊ってくれるメンバーに対して表現したいテーマを伝えた上で「あとは好きにアレンジしてください。」って言ってるの。この世界観のなかで生きてくれるなら、動きはどんどん自分のものにしてくださいって。

「克輝の作品だから克輝の振り付けを踊る」のではなくて、克輝が作ったこの世界で、それぞれ自分のしっくりくる、気持ちいい表現を見つけて欲しいと思ってるわけさ。

そうすると、1人では生み出せなかったような新しい物語が生まれたり、弱かったところをカバーしてくれたりする人が出てきたりして、どんどんいい作品にアップデートされてく手応えがあってさ。

—— うんうん。

克輝は「みんなついてこい!」ってグイグイ人を引っ張るような、いわゆる”リーダータイプ”ではないのに、いつも周りに沢山の人がいて、とても自然体で主宰を務めているように見えるよ。

うん、きっとそれは自分が、ガンガン行けるタイプじゃないからなんだよね。でも最近はだいぶ強くなった方。最初はメンバーにダメ出しすらできなかったけど、今は「ここは直して」「そこは違う」と表現したい世界をきちんと伝えられるようになった。

はじめの頃は、指示を出すのもすごーく優しく丁寧に伝えてたんだけど、でもそんなの、作品作る上ではやってらんない!と思って。

経験を積むごとに、自分が作りたいものに対するこだわりも強くなるから、どこまでクオリティーを求めていいのか悩んだ時期もあったんだけど、最近は堂々とそのこだわりを貫くことにしたんだ。

自信がついて天狗になってるわけでも、偉そうにしてるわけでもなくて、作品って自分の鏡だと思ってるから、妥協して納得できないものを世に出したくないなと思っているだけでさ。

そしてその分、自分の作品のために集まってくれた1人1人にとっても、何かしら学びを得られる場にできるよう頑張りたいし、それぞれが良い出会いや繋がりを持って帰ってくれたらいいなと思ってるんだ。

本土の人にも、自分のルーツや、生まれ育った土地の芸能に興味を持ってほしいと思った。

日頃一緒に活動している仲間たちと

—— そもそも、ダンス団体「やまんぐぅ〜」はなんで立ち上げようと思ったの?

沖縄の伝統芸能とコンテンポラリーが融合されたあの独特の世界観は、どういう風にして生まれたのか、聞いてみたくてさ。

確かはじめは、大学の同期と何かを作りたいってのがきっかけだったんだ。だから最初は沖縄とは関係ない色の作品も考えたんだけど、やっぱり最終的には、自分の今までやってきた八重山舞踊とかコンテとかが全部繋がるような、色んな文化がミックスされた作品をつくってみたいな、ってとこに行き着いてさ。

あとは、東京の人が自分のアイデンティティを知らなすぎることに衝撃を受けて。人の「ルーツ」をテーマにするような舞台をやってみたいと思ったことも、きっかけになったんだよね。

自分たちは子どもの頃に、八重山舞踊やアカハチを通して、地域の過去や自分のルーツを学ぶ機会があったから、農民の労働から芸能が生まれた背景や、島の長い歴史の上で今の自分たちの暮らしが成り立っていることを知ってるさあね。

自分自身のアイデンティティと深く向き合ってきた時間があるから、島が好きだし、”自分たちは島に育ててもらった”という感覚があるから、とても大きな部分で自分の存在を認められている気がするんだよね。

「やまんぐぅ〜」でやりたいのは、そういった感覚を本土の人にも知ってもらうことでさ。

もちろん、純粋に沖縄の素晴らしい文化や芸能を知ってほしいという気持ちも根底にはあるけど、1番の願いは、この作品に関わってくれた人や公演を見に来てくれた人が、それぞれに自身の生まれ育った地域に伝わる伝統芸能に興味を持ったり、足元のふるさとを見つめるきっかけになったらいいなと思ってるんだ。

あと、これはまだまだ、遠い遠い夢なんだけど、「東京オリンピックの開会式で総合演出をやる」って目標が自分の中ではあってさ。というのも、2年前のリオオリンピック閉会式の日本のパフォーマンスを見たときに、なんかめっちゃ歯がゆさを感じたわけよ。

もちろんどのパフォーマーも素晴らしかったし、CGとかプロジェクションマッピングみたいな技術も凄かったし、新体操みたいなダンスもめっちゃレベル高くて、かっこよくて圧倒されたんだけど、でも何か足りない気がして。「日本ってそれでいいのかな」って思って。もっと、日本舞踊とか歌舞伎とか阿波踊りとかヨサコイとか琉球舞踊とか、日本にしかない素敵な芸能っていっぱいあるのになあって思ったんだ。

それで、その「日本らしさ」を演出できるアーティストって誰が居るのかなって考えたら、あんまり思い浮かばなくて。それなら、自分が挑戦したらいいじゃんって思ったんだ。色んな地域の伝統芸能を織り交ぜて、着物と袴を着て、日本の伝統芸能が持つ独特のしなやかさや力強さを、もっと世界に発信していきたいって思って。

去年挑戦した「DREAM」という世界一周の旅コンテストに応募したときも、この話をしたんだ。結果はダメだったけど、でもその時、口に出すって大事だなって思ってさ。もちろん悔しさはあったけど、でもそれを機に「自分は海外に出たいんだ。」って気持ちを再認識できて、「じゃあ、自分の力で出てやろうじゃんか!」って思えたんだよね。

それでどんどん口に出し始めたら、色んなチャンスが巡ってきて。この間はマレーシアで踊らせてもらえたし、年内にインドネシアでの出演の話も来てるんだ。全部、自分が発信活動をしていたから繋がったご縁でさ。

本当にありがたく思ってるし、どんだけ熱い想いも、胸に秘めてるだけでは伝わらなくて、自分で発信しなければ何も始まらないんだなって、改めて感じたよ。

もちろん未熟な姿を発信するのは恥ずかしいし、「下手くそなくせにどでかいこと言っちゃって」とか思われるのも嫌だけど、でもそれが自分だし。

いまの実力はこれだけど、でもいつか絶対ここまで行きますからね!って伝えること。言ったからには、やらなきゃ気が済まないし、言った以上あとには引けないし、だから声に出して行くことは大切だよね。「肩書きはなる前から名乗れ。」ってやつと同じだね。自分が進む道は自分で作るしか無いんだよ。

—— ああ・・共感しかない。私はいつも、克輝のそんな姿勢に励まされ、背中を押してもらっています。でも、頭では分かってても行動するのは凄く難しいし、疲れることだとも思うから、実際にやれてる克輝は凄いなあって本当に思う。自分をさらけ出すことで傷ついたりしたことはないの?

いや、もちろん怖いよ。でも自分の活動や思いを発信するためには、ネットが1番便利な手段だなと思ってて。どこで誰が見てるか分からない不安はもちろんあるけど、見てくれてる人は見てくれてて、ある日突然声をかけてくれたりするからさ。

実際に今頂いてるダンスの仕事も、SNSの繋がりから声をかけてもらったものが多いし。あとは、普段は会えない遠くにいる人たちが「克輝のダンス、いつも見てるよ」「凄いね、応援してるよ」ってコメントをくれるのも、自分の励みになるし。それがオープンに自分をさらけだす理由かな。

最初の頃は、ちょっとフォロワーの数が減ったとか、身近な友達にフォロー外されたとか、小さいことを気にしたりもしてたんだけど、そんな他人の目を気にして自分の活動を制限するよりも、やりたいことを堂々とやり続けてる方が幸せだな、ってある時気づいてさ。

SNSは自由だから、離れたければ離れればいいし、それだけの関係だったんだな、って受け止めるだけ。そしてそれは、リアルの世界でも何も変わらなくてさ。

前に、自分の作品に関わってくれた後輩が、色々なゴタゴタがあった上で「もう克輝さんとは仕事したくないです。」って言って離れていっちゃったことがあったんだよね。

その後会っても目も合わせてくれなくて「ああ、本当に離れたな。」って感じたよ。当時はすごく悲しかったけど、でもそれって仕方ないんだよね。自分の責任で物事を成すってのはそういうことで、自分のでき得る限りを尽くした上で離れていってしまう人とは、そのタイミングが遅いか早いかだけであって、もう縁がなかった、ってことなんだよ。

その分、新しい良い出会いは必ずあるからさ。経験を重ねるうちに、離れていく人に対してもあんまり心を消耗せずに生きられるようになってきたよ。

—— それは、自分の責任で色々な現場をこなしてきた経験がある人だからこそ語れる言葉だね。親しい人であればあるほど、離れてしまったときの悲しみは大きいけど、受けとめて、強さに変えて、次に進むしか、出来ることはないもんね。

この話は、いま克輝が事務所に属さずフリーで活動してる理由にも繋がるかなと思うんだけど、その辺についても聞いていい?

うん、もちろん。この業界は「与えられたチャンスは全部掴め!」みたいなノリだから、周りの仲間も大学在学中から事務所に入ってた子は多いし、自分たちみたいな駆け出しのダンサーは仕事を選り好みしてる場合でもないと思うんだけど、なんか自分はその空気が嫌でさ。

自分はどこでもいいから無理やりオーディションを受けて表に出たいって気持ちはないし、素敵だなと感じる人や作品に出会ったら、自分自身の実力でそこまで近づけるように頑張る方が、楽しいわけさ。

友達たちの作ってる舞台に出るときも、事務所に入っていないことでフットワーク軽く駆けつけられるし、フリーで動く方が、のびのびと自分の表現活動ができるなと思ったんだ。

でももちろん、発信活動からブランディング、細かいスケジュール調整や関係者とのやり取り、会場手配まで、全てを自分1人でやらなきゃいけないしんどさはあるし、自分の名前で責任を背負うことの怖さもよく分かってて。

大学時代、初めて自主公演をした時にさ、リハの会場で予期せぬ大きな事故が起こってしまったことがあったんだよね。自分が主宰として全責任を預かっていた場で、関係者に怪我をさせてしまったわけさ。その時は本当に落ち込んで、「ああ自分は主宰の器じゃないんだ。人の命を預かる舞台の現場で、なんて無責任で無力なんだ。」って思って、もう舞台は辞めて、普通に就職しようぐらいまで考えてたんだ。

でもその時も、同期の仲間たちが助けてくれて。「克輝だからみんながついてったんだよ。」って何度も声をかけてくれて、次のオーディションも一緒に受けようって誘ってくれたんだ。

そのおかげで今があるから、周りには本当に感謝なんだけど、その経験があったことで改めて、自分で物事を作り上げることへの覚悟や心構えについても学んだわけさ。

同じ作品づくりでも、全体の中の一部メンバーとして携わるのと、主宰として現場の全責任を負うのでは、見える世界も重圧も、全然違う。

島にいた頃、アカハチでも学んだことだけど、言い出しっぺ・リーダーってのはいつも孤独で、でもその分、やりがいも、幸せも、人への感謝も、何倍も感じられるポジションなんだよね。

だからこれからもずっと、こうやって周りの人に支えてもらいながら、楽しく自分の作品を作り続けていけたらいいなと思ってる。

みんなもっと、弱さをさらけ出していいと思うんだ。

最初の方でも話したけど、自分は色々と不完全な部分が多いから、隠したくてもあちこちで弱さがこぼれ出ちゃうんだよね。

でもみんな人間なんだから支え合いたいし、無理に強がって1人で抱え込まなくても、絶対誰かが助けてくれるから大丈夫だよって、自信を持って、言いたいんだ。

自分が頼りないことで、不思議と周りに心強い仲間が集まって来てくれたりするし、素直に弱さを見せることで、逆に素敵な人と出会えたりするものなんだよ。

あと、いま自分には彼氏がいてさ。

凄く尊敬できる人で、高め合える存在なんだけど、そういう大切な人との関係性を周りに隠すのも、なんか違うなって思えて、最近はオープンに言うようにしてるんだ。

自分が好きなことや好きな人には堂々と向き合いたいし、オープンマインドであることは自分の生きやすさにも繋がるなと感じていてさ。

その分離れていく人もいるだろうけど、それでいいと思うんだ。自分にとってマイナスな人と一緒にいる必要はないから。

実際、カミングアウトするようになってから、周りの人たちとの距離はぐんと近くなったし、友達と過ごす時間も隠し事がないからとっても楽になったんだ。

あと今まで「克輝、実際どっちなの?」みたいに聞かれることが多くて、それにいちいち答えるのも煩わしかったんだけど、自分から言うようにしてみたら「やっぱりそうなんだね〜全然いいと思う!早く言ってくれたら良かったのに!」みたいな反応を返してくれる人が多かったのも、嬉しくてさ。

東京は自由の街。自分が安心してありのままで居られる場所。

—— 今まで話を聞いてきて、克輝は18年間色々な生き苦しさを抱えながら島で過ごして来たと思うんだけど、はじめて東京に出て来たときはどんな感じがした?

いや〜もう、東京はフリーだよね。自由の街。自分がとても素直でいられる場所だし、ありのままの姿丸出しでも、受けいれてくれる仲間がいるから、今とっても幸せだなって感じてるよ。

もちろん、島も好き。いつか帰りたい気持ちもあるけど、でもたまに帰るとやっぱりなんか、物足りなくてさ。ずっと島にいる親戚とか友達とかと話すと、固定概念に囚われすぎて視野が狭いな〜って感じてしまうことも多くて、しんどくなる。

10年前、「男がメイクしてウケる」「伝統芸能とかダサっ」みたいなこと言って自分を傷つけていた人たちが、今になって「多様性って大事だよね」「郷土芸能いいよね」とか言ってるのをみると、あ〜島はやっぱり、色んな気づきが遅いなあって感じてしまうわけさ。

—— それは、克輝が自分の人生に主体的になるタイミングが周りよりだいぶ早かったことも、あるかもしれないね。

今の島の子どもたちは、自分で色んな情報を仕入れて多様な価値観があることを早くに理解していたりするし、若者の中でも新しい素敵なムーブメントが色々おき始めてるように感じるんだけど、私たちが子どもの頃には「多様性」なんて言葉を島で聞いたことがなかったもんね。

そうだね(笑)自分はたまたま人と違う部分が多かったから、人生について考えるきっかけが多かっただけなんだと思う。

でもそうやって島でも腐らずに好きなことやり続けられたのは、数は少ないけど応援してくれた人の存在があったからだなと思ってるわけさ。毎回舞台を見にきてくれた友達や、ずっと味方でいてくれた家族、踊りの先生たちのおかげで、今の自分がある。

東京に出るときも、周りの親戚とかから「演劇なんてお金にならない道に進むなんて、アホじゃないか」みたいな言われ方をしてたけど、それでも「頑張れ」って送り出してくれたお母さんには、本当に心から、感謝してるんだ。

そんなお世話になった人たちに恩返しするためにも、自分はやっぱり舞台という場所で、これからも頑張り続けたいなって思ってるよ。

—— 克輝は、憧れてる人とか、大きく影響を受けた存在はいるの?

そうだな、1番はやっぱり、Yanis Marshall(ヤニス・マーシャル)さんって言う、ヒール履いて踊るジャズファンクのダンサーさんかな。

この映像のセンターで踊っている男性がヤニス・マーシャルさん

でも、彼氏もそうだけど、今周りにいる人たちはみんな、本当に凄くて尊敬してる人ばかりだよ。

自分は今バイトもしながら暮らしてるけど、早くダンスだけで生きていけるようになりたくて。

自分と同じレベルの人ばかりとつるんでいると、その場所で成長が止まっちゃう気がするから、いつも憧れている人の近くで引き上げてもらったり、視座を高く保てるような意識はしてる。

あとこれは、業界全体の課題でもある気がするんだけど、ダンサーって今の世の中ではかなり需要が増えてきているのに、それでも価格の相場とか仕事の回し方は安定してなくて、まだまだ生きやすい業界ではないなって感じるわけさ。

そういう部分について、個人的には国がもっと芸能に対しての補助をするべきじゃないかな、って思ったりもしてる。アーティストやクリエイターを目指している人に対して、もっともっと活動しやすい国になってほしい。

スタジオ代と小屋代だけでも、もうちょっと安くならないものかなあ・・・(笑)

—— その辺のリアルな話は、深く聞いてみたい後輩たちも多い気がするね。

それでは、あっという間に最後になってしまったんだけど、島の後輩たちに向けてのメッセージをお願いします。

はい。まず、高校卒業後も生まれ育った島に残って地域に貢献することって、とても素敵なことだと思っているし、幸せなことだなと思うんだけど、1度でも外の世界を見に行ってみると、また全然違う喜びや感動と出会えたりするから、ぜひ1度は、沖縄の外に飛び出してみる経験をして欲しいと思うな。

島にいる頃は、その狭い世界が全てでさ、そこで生きてくことしか考えないんだけど、外に出て見たら、すごく色んな世界があるじゃんね。世の中は広いから、誰にだって、しっくりくる居場所が必ずあると思うんだよね。

今モヤモヤしてる人は特に、ぜひ1歩外に出て見たらいいよ、って思う。ちょっと出てみるだけで、自分の選択肢と可能性が何倍にも広がるからさ。

親に「沖縄にいなさい。」とか「沖縄の大学にしなさい。」とか言われる人も多いと思うけど、もし自分が少しでも「他の世界を見てみたい!」と思うのなら、反対を押し切ってでも飛び出してみたらいいと思うし。

若いうちからやりたいと思ったことを我慢すると、ずっとそう言う人生になっちゃうし、いつまでも見たい景色は見えないからさ。

あと、ずっと知り合いだらけの環境にいると、どうしてもなーなーになっちゃうけど、都会で1人暮らしして暮らしてみると、世の中の厳しさを知って、色んな意味で自立できるし、お金のことや自分の生き方・働き方について真剣に向き合う機会を持てるから、みんな1度は都会に出て、当たって砕けてみたらいいと思う。

そして1番伝えたいのは、”自分を隠さずありのままでいてほしい”ってことと、”人を頼ってほしい”ってこと。

この間島でダンスのワークショップを開催させてもらったんだけど、それも別にダンスの楽しさを伝えることが1番の目的ではなくて、「ここでは自分をさらけ出していいんだよ」って、自分を思い切り表現することの楽しさを伝えたくて開催したんだよね。

島にはさ、アートとか芸術とかに触れられる場がまだまだ本当に少なくて、「表現って自由なんだ。」ということに気づける機会が乏しすぎることも、課題だと思うんだ。

だから、当時の自分みたいに、自分のすっぽりくる居場所が見つからなくて苦しんでいる後輩がいるなら、「世界は広いよ、あなたに合う表現方法は必ずあるよ。」って伝えたいし、自分の知ってる限りのことは全部島に持って帰ってきて、いつか後輩たちに還元していきたいなと思ってる。

自分でよければ、いつでも相談にも乗るので、同じような葛藤や悩みを抱えてる方がいたら、SNS経由ででも、ぜひ気軽に連絡ください。

—— ありがとうございました。克輝の喋ること、良いことばっかりでなかなか削れなくて、1万3千字超えのものすごい大作になってしまった・・・。

八重山出身でダンスや芝居や歌の道を目指して活動している同世代は他にも沢山居るから、この長文記事を最後まで読んでくれたうえで、克輝の言葉に共感したり、背中を押されたりした人は、きっと少なからず居るんじゃないかなと思っています。

記事の後半に出てきた島でのダンスワークショップの様子については、こちらのレポート記事でも書かれているので、興味のある方はぜひ合わせて読んでみて下さい。

”自分でいられる時間”が溢れる島づくり – 島出身者によるワークショップ –

また数年後、新たなフェーズで活躍する克輝の姿をヒト大学で取り上げさせてもらえる日を、楽しみにしています。

 Text by 前盛 よもぎ Photo by 仲吉 史伯 / 橋爪 千花 / .chi


垣花 克輝かきのはな かつきさん
年齢|23歳(1995年生まれ)
好きな食べもの|八重山そば
好きな映画|怒り
島で1番好きな場所|海(東京に住んでると波の音が聞きたくなる)

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